――今回は、メジャーデビュータイミングということで、ルーツに迫りつつ、デビューに至るまでのお話、そして、これからのお話など聞かせてください。早速ですが、幼少期は、どんな子どもでしたか?
「結構意外だと言われるんですけど、幼少期は明るい性格の子だったんですよ。学校でもクラスのリーダー的な立ち位置で、友達の輪の中心にいるみたいな…。遊ぶ時は、外でドッジボールをしたり、男の子と一緒にサッカーをやったりしていて、休み時間はいつも外で遊んでいるような超元気っ子でした」
――いわゆる目立ちたがり屋だったのですか?
「近いかもしれないです!洋服とかも派手なものがすごい好きで、色んな面で目立とうとしていたような気がします」
――その頃から、音楽は身近にあったのでしょうか?
「いや、そんなこともなくて。家族の誰かが音楽をやっていたわけでもないですし、むしろ、そんなに音楽には触れてなかったですね。でも、小さい頃からTVの歌番組はよく見たりしていて、小学生の時の夢はアイドルになることだったので、見よう見まねで歌ったり踊ったりはしていました」
――ちなみに、当時見ていたアイドルグループというのは?
「学生の時はAKB48が盛り上がっていた時期で、AKB48のお菓子のぷっちょのアイテムを全種類コンプリートしたりしていました(笑)」
――では、卒業文集の将来の夢の欄にも「アイドル」と書いていたのですか?
「それがアイドルじゃないんですよ。小学校6年生ぐらいから徐々に夢が変わって、その時には「声優」って書いていました。何か声に携わる仕事をしてみたいなと思い始めていた頃で…」
――それは何かきっかけがあったのですか?
「小学校5年生の時に仲良くなった友達がアニメ好きの子で、私はそれまであまりアニメを見て育ってこなかったんですけど、その頃から『HUNTER×HUNTER』を見始めて、主人公のゴンとキルアの声を女の人がやっていると知って、かっこいい!と思って、自分もやってみたいと思ったのがきっかけでした。男の子のキャラクターを女性の方が喋っていると知って衝撃を受けましたし、とても憧れましたね」
――声優の夢はどのくらい続いていたんですか?
「中学校3年生までは、本気で声優になりたかったです。声優の養成所に行ってみようかなとか色々計画を立てたりもしていたんですけど、高校1年生になった頃にガラッと変わって、そこからは完全に夢は音楽になっていきました」
――ピアノなど楽器の習い事をした経験はあったのですか?
「実は色々な習い事をしてきたんですけど、全部続かなくて…。きちんと音楽を習ったことはなかったんです。でも、小学校6年生の頃に、アニメ『けいおん!』を見てギターをやってみたい!と思って、ギター教室に通い始めました」
――習い事は続かなかったとのことですが、ギターにはどんどんのめりこんでいった感じだったのですか?
「最初にギターを買った時は独学でやろうと思ったんですけど、小学生の私にはまったく分からなくて、2年間くらいギターを放置していたんです。そしたら、親にギター教室があるけど習ってみる?と言われて、ギター教室に通い始めたんです。そこから、上達していくのが楽しくなっていった感じです。ギター教室の友達とバンドを組んで、音楽について一緒に話せるような仲間が増えたのも嬉しかったです」
――アイドル、アニソンと来て、アニメきっかけでギターを始めて…その次はバンドに目覚めていったという感じでしょうか?
「高校生ぐらいまでは、限られたジャンルの音楽しか聴いていなかったんですけど、当時のバンドでカバーしていたのは、【Alexandros】さんとか、THE ORAL CIGARETTESさんとかでした。当時はアニソンやボカロをメインに聴いていたのでオーラルの曲を聴いた時には、すごい!こんなアーティストがいるんだ!と思ったのは覚えています」
――そこから、バンド活動に熱が入っていくわけですか?
「もちろんバンドはやっていきたかったんですけど、音楽を聴いていくなかで弾き語りの良さを知って、1人で弾き語りを始めるようになって、その動画をSNSに投稿するようになりました」
――最初に投稿した弾き語りは覚えていますか?
「酸欠少女さユりさんの『光と闇』という曲です。それまで、アコースティックギターで弾き語りする女の子は、しっとりした感じをイメージしていたんですけど、たまたまYouTubeで見つけたさユりさんの路上ライブが、私が思い描いていた弾き語りとは全然違って、まさに『光と闇』を歌っていたんですけど、私もこういうかっこいい曲を、かっこよくストロークで弾けるようになりたいと思ってから、ずっとこの曲ばかり練習して、しばらくして動画をアップしました。初めて投稿した動画で聞いてくれた人が声を褒めていただいて嬉しれかったのを覚えています。
――冒頭で、小さい頃は明るい性格だったと言っていましたが、弾き語りを始めた高校生の頃は、どんな学生だったんですか?
「実は、その明るい性格時代は、小6で終わるんですよ…。中学の頃は、なかなか学校に行けなくなってしまって、その時の自分を支えてくれたのが音楽だったんです。バンドを解散してからは、学校に行かないで、1人でずっとギターを弾いているような生活が高校3年生まで続きました。高校にもあまり行けなくて、でも、ずっと好きだった音楽だけは続けられていた感じです」
――その頃から、オリジナル曲を作ったりしていたのですか?
「高校1年生まではずっとカバーをしていたんですけど、ギター教室の先生から「本当に音楽でやっていきたいなら、自分で作詞作曲できた方がいい」、「ライブにも出て行った方がいい」と言ってもらったのがきっかけで、高校1年生から自分で作詞作曲するようになって、弾き語りでライブにも出るようになりました。その頃は、作詞作曲の知識は何もないので、思うがままに作っていました。実際に作ってみたら自分で曲を作るというのがこんなにも楽しいものなのかと思いました」
――曲作りはどのようにしているのですか?
「私はいつも詞から書くんです。曲から作ったことはあまりなくて、言葉を大事にしています。もともとは、中学校や高校時代に味わった辛いことや苦しかったことを言葉で伝えたいという思いがあったので…。高校生の時に作った曲で、アコースティックバージョンで配信している『さよなら、十七の僕』という曲があるんですけど、実は、この曲は親と喧嘩して家出をした時に生まれた曲なんです。家出の途中、歩いていたらパッと頭に歌詞が降ってきて、走って家に帰ってガーッと曲を付けて一気に書きました。「あんた、もう帰って来たんか!」と言われましたけどね(笑)。今でも(曲作りの)その感覚は全く変わらないですね」
――では、メジャーデビュー曲『404』はどのように生まれたのですか?
「この曲は、コロナ禍中に書いたんです。コロナ禍で全然外に出られないので、みんながネットに溜まるようになって、そのネットと現実世界がどんどん近くなっていく中で、それがすごく怖いなと思って…。一体どっちが現実なんだろうか?昼夜逆転して、もう朝も昼も夜もないような生活の中で、私って一体何なんだろう?とか考える時間が増えていく中で作った曲です」
――この曲でメジャーデビューできるというのは、どんな思いでしょうか?
「すごく嬉しいです。「404」は『現実逃避』をテーマにして書いた曲なんですけど、アイデンティティの喪失だったり、生きる意味だったり…そんなことを考えることが増えた世の中で書いた歌詞を、より多くの人に刺さるようなタイミングで出せたんじゃないかなと思っています」
――ちなみに、1人で弾き語り始めた頃から、メジャーデビューという夢は思い描いていたのでしょうか?。
「いえ、本当に最初はただ自分を救うためだけの音楽だったので考えてはいなかったです。でも、音楽アプリ「eggs」で曲を配信し始めて、聴いてくれる人が増えていくにつれて、どんどんデビューしたいなという気持ちが膨らんでいったので、いつかできたらいいなとは思っていました」
――いかがでしょう、メジャーデビューのチャンスは、思ったよりも早く訪れたという感じですか?
「結構遠かったですね。もちろん簡単な道ではないと分かっていましたけれど、それでもどうしても諦めきれなかったというか…。実は、これまで何回か音楽を諦めてきたんですけど、コロナ禍でこの『404』を書いている頃、本当に辞めたいと思って、色んな人に相談したりもしていたんです。でも、ある時に初心に帰ったというか、先ほど話した家出の曲をライブで披露した時に、泣いてくれた人がいて…。もしかしたら私の歌を必要としてくれる人が他にもいるのかもしれないと思って、諦めずにここまで続けて来られたという感じです」
――実際にメジャーデビューを迎えた今はどんな心境ですか?
「とてもワクワクしています。比例して不安ももちろんありますけど、色々な人に私の曲を伝えられることが嬉しくて、もっといっぱい曲を作りたい!そして、届けたいなと思っています」
――もともとは、自分自身を救うために音楽があったわけですが、動画投稿への反響があったり、ライブで目の前のお客さんが涙を流したり…と、そういうリアクションや景色を目の当たりにすることで、次の作品への創作意欲が高まったりもするものですか?
「もちろん、あります。私は、普段からXでの会話を心掛けていて、悩みを教えてもらったり、相談に乗ったりしていく中で、今までは自分のことだけを歌にすることが多かったんですけど、話を聞いていくなかで誰かの悩みを救えたり、悩みに寄り添えたりするような曲を作っていきたいという強い気持ちも芽生えてきて、そこはやっぱりファンの方から力をもらっていると思います」
――逆に言うと、それまでの曲は、自分の中にあった感情を吐き出していたという感じなんですね?
「なんで分かってくれないの?私はこう思っているけどあなたはどう?という感じで、自分の中の鬱憤を晴らすための曲を作っていたんだと思います。でも、やっぱり音楽を通して色んな人と出会えて、自分の中でも変化することがたくさんあったので、音楽を続けてきて本当に良かったなと思います」
――今でも、地元の長崎を拠点に活動されているということですが、現在、長崎ではどのような活動をしていますか?
「地元では、6月からラジオのパーソナリティもやらせていただいています。最初は本当に緊張して何を喋っているんだろう?って感じだったんですけど、最近はすごく楽しく話せるようになって、自分の好きなアニメや漫画の話とか、美味しいものの話とかをよく喋っています。リスナーの皆さんも毎回たくさんのメッセージをくださって、ラジオを通してのそういう繋がりもすごいなと思っています」
――そういったリスナーとのコミュニケーションも次の作品作りに繋がっていきそうですね?
「繋がると思いますね。何だか人の温かい部分にずっと触れているみたいな感覚だから、すごく優しい曲ができそうな気がしています(笑)」
――地元の長崎で生活をしていることが、作品に影響する部分はありますか?
「長崎はやっぱり海や自然がとても綺麗なので、悲しくなったりしたらよく海に行ったり、緑を見たりするようにしているんですけど、心が浄化されるからか、自然と歌詞も出てくるんですよね」
――逆に、プロモーションで東京に来た時に感じること、刺激を受けることもありますか?
「当たり前ですけど、人が多くてびっくりしています。長崎は夜の12時を過ぎたら本当に人がいないんですよ。だけど、東京には人はいっぱいいるし、明るいし。あとは、電車が短い間隔で何本も続けて来ることにもびっくりしました(笑)。そんな風に、東京で不思議に思ったことも最近は歌詞に書くようにしています」
――メジャーデビューしたことで、今後、環境などが変わっていく部分もあるかと思いますが、これから楽しみにしていることは何ですか?
「私自身、新しく私を見つけてくれた人とのコミュニケーションをすごく楽しみにしていて、1人でも多く救う…というのはおかしいかもしれないけど、誰かに寄り添えているということをたくさん感じていけたらなと思いますし、その輪を広げていけたらいいなと思っています。やっぱり、そこに繋がるのは楽曲だったりライブだと思うので、お客さん全員が私のことを応援してくれているっていう、そういう景色を見てみたいなと思いますね。だから、ワンマンライブがひとつの夢です。あとは、色んなイベントにも出たいですし、色んな場所に行って色んな人と触れ合いたいので、全国各地でライブをやってみたいです」
――ご自身が考える大宮陽和のライブの魅力は何でしょうか?
「やっぱり楽曲だと思います。ライブでは配信している楽曲の歌い方とはちょっと違う歌い方をしようと心がけていて、一公演一公演で感情の込め方も違うので、そこに一番注目して欲しいなと思います」
――そろそろまとめに入っていくのですが、近い目標としてワンマンライブというお話が出ましたが、さらにその先の5年後10年後には、どんなアーティストでありたいと思っていますか?
「当たり前のように、街やTVから私の曲が聴こえてくるような、みんなが知っているような、老若男女色んな世代に刺さるようなアーティストになっていたいです。みんなの心の拠り所でありたい、あり続けたいなと思います」
――ありがとうございます。それでは、最後の質問です。大宮さんがアーティスト活動を続けていく上での原動力になっているものは何でしょうか?
「一番はやっぱり応援してくれる皆さんの存在なんですけど、アーティスト大宮陽和に入って入って入り込んでいくことが自分でも楽しいので、自分も知らない新しい自分を知りたい、探し続けたいと思うことが原動力なのかなと思います」
ATSUSHI OINUMADebut Digital Single「404」
作詞 / 作曲:大宮陽和 編曲:しがない高校生
●大宮陽和 Official X
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●大宮陽和 Official Instagram:
●レギュラー番組
FM長崎「大宮陽和の夜を照らす月」
放送:毎週日曜22:30~22:55
出演者:大宮陽和/芳野裕美(番組アシスタント)
番組HP
番組X
※ 大宮陽和アーティストページ(TOKUMA JAPAN COMMUNICATIONS)