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2015年03月04日
全曲解説①メルダック盤、ワーナー盤
「ALL TIME MEMORIALS ~SUPER SELECTED SONGS~」
兵庫慎司(ロッキング・オン)
DISC 1
01.1985 (自主制作・1985/12/24リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。初めてのザ・ブルーハーツの音源。結成直後の1985年のクリスマスイブに行ったライヴの入場者全員にソノシートで配られた。当時からメンバーは、この曲は1985年だけの曲で、今後の作品には収録しないしライヴでもやらないと決めており、ゆえに、解散直後に出たベスト・アルバム『SUPER BEST』に収録されるまでほぼ幻の1曲と化していた。この曲の中の「ぼくたちをしばりつけてひとりぼっちにさせようとした、すべての大人に感謝します。1985年、日本代表ブルーハーツ」という歌詞は、のちのファースト・アルバムのリリース時に「1985年」の部分をカットして、宣伝コピーとして使われた。
02.人にやさしく (自主制作・1987/2/25リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。メジャーデビュー直前、 所属事務所のインディーズ・レーベル、ジャグラーレコードからアナログシングルとしてリリースされた。「人にやさしく してもらえないんだね 僕が言ってやる でっかい声で言ってやる ガンバレって言ってやる 聞こえるかい ガンバレ!」と歌いきるこの曲は当時、「パンクでそんなストレートに前向きなことを言っていて、かつ説得力がすごい」という意味で、衝撃に満ちており、その後の日本のロックに大きな影響を与えた。バンドブーム期にもブルーハーツのフォロワーが多数登場したし、その10年後、つまり2000年代初頭の青春パンクブームのルーツにもブルーハーツがいたしこの曲があった。とまで言える曲。なお、ヒロトがブルーハーツ以前にやっていたバンド、ザ・コーツの頃からレパートリーにしていた曲でもある(“NO NO NO”や“少年の詩”なども然り)。
03.リンダリンダ(1stシングル・1987/5/1リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。ブルーハーツの中でもっとも有名な1曲、に留まらず、RCサクセション" 雨上がりの夜空に"と並ぶ、日本のロックのスタンダードとさえ言える名曲。メジャーデビュー・シングルにあたる曲で、デビューの名刺代わりにこの曲のPVが日本中にばらまかれた時のショックは相当のもので、あっという間に日本の中高生バンドが坊主のボーカリストと額にバンダナまいたギタリストだらけになった。私も何度聴いたかわからないくらい聴いたが、今冷静に聴き直すと「ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから」というあまりにも有名な歌い出し以外は、結構勢いまかせに書いたのでは、と思える歌でもある。いずれにしろ名曲には違いないが。
04.君のため(1stアルバム『THE BLUE HEARTS』・1987/5/21リリース)
作詞・作曲:真島昌利。1stアルバム全12曲のうちケツから2曲目に収録されている(ちなみにケツは“リンダリンダ”)、3拍子のバラード。マーシーによるバラードの名曲は数多くあるし、中にはラブソングもあるが、「わかりあえないこと」「わかりあえないという事実をかみしめること」などが主軸に置かれた曲が多く、この曲のように、ストレートに切々と愛や恋を歌う曲は少ないのではないかと思う。特に間奏の「好きです 誰よりも 何よりも 大好きです ごめんなさい 神様よりも 好きです」という語りは、のちにこのバンドに詳しくなっていけばいくほど「よくこんな直球なフレーズ書いたなあ、マーシー」という気がしたものです。
05.終わらない歌(1stアルバム『THE BLUE HEARTS』・1987/5/21リリース)
作詞・作曲:真島昌利。アッパーでストレートな曲にのせて「終わらない歌を歌おう」というリフレインと「明日には笑えるように」というシメのフレーズ以外は、キツかったことやツラかったことを延々と並べ立てた挙句「キチガイ扱いされた日々」と歌い切る、いわば「疎外された者による疎外された者のための歌」。2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』収録の“ロクデナシⅡ”や“ロクデナシ”もそうであるように、ブルーハーツ初期のマーシーの曲にはこのタイプのものも多く、同じく疎外感を抱えていた当時の少年少女たちが激しく共振した。いや、「当時の」ではなく以後ずっと、その時代の少年少女たちも、大人たちも共振し続けて現在に至る。
06.世界のまん中(1stアルバム『THE BLUE HEARTS』・1987/5/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。速い8ビートのドラム、ルート弾き主体のベース、メジャーコードをかき鳴らす歪みまくりのギター、と初期ブルーハーツの王道どまんなかな曲だし、一見前向きに響く歌詞も然りだが、よく聴くと「えっ!?」てひっかかるフレーズの宝庫でもある。「朝の光が 待てなくて 眠れない夜もあった」「生きるという事に 命をかけてみたい」など、まるで禅問答のよう。「生きてるだけで大興奮」「生きてることが大事件」みたいなマインドがザ・ブルーハーツの曲の中にはあって、それが時々そのまま曲に出ることがあるのだが、ヒロト版のそのわかりやすい例。
07.NO NO NO(1stアルバム『THE BLUE HEARTS』・1987/5/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。初期には多かったが中期頃から減っていく、政治や戦争などの具体的な社会事象に関するタームを用いた曲であり、「政治家にも 変えられない 僕たちの世代」「戦闘機が買えるぐらいのはした金ならいらない」あたりのストレートさが特にインパクトが強いが、キモは「どこかの爆弾より 目の前のあなたの方が ふるえる程 大事件さ 僕にとっては」というラインの方。このような「身もフタもないから誰も言わなかった真実を力いっぱい歌う」というヒロトの特性がダイレクトに出た曲。なお、コード展開、カッティングの感じ、スクラッチの効かせ方、ソロのフレージングなど、ギタリスト真島昌利のプレイスタイルが濃密につまっている曲でもある。
08.少年の詩(1stアルバム『THE BLUE HEARTS』・1987/5/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。「パパ、ママ お早ようございます」という歌い出しといい、「僕やっぱりゆうきが足りない 『I LOVE YOU』が言えない」という2コーラス目の頭といい、自分の考えていることや感じていることや行動を直接書くのではなく、主人公の少年を設定してその子の視点で書いているような感じ、という意味で、ブルーハーツとしてはちょっと異色な曲といえましょう(最後の5行で視点がヒロトに戻るが)。特に異色なのが「そしてナイフを持って立ってた」という結末のつけかた。
09.未来は僕等の手の中(1stアルバム『THE BLUE HEARTS』・1987/5/21リリース)
作詞・作曲:真島昌利。“リンダリンダ”でザ・ブルーハーツを知ってびっくりし、アルバムを手にして1曲目にこの曲が始まるや否やさらなるショックを受けて絶句、そのまま全12曲聴き終わる頃には頭の中がえらいことになっていた──そんな衝撃を日本中の青少年に与えた、記念すべき曲。“世界のまん中”に通じる、「ザ・ブルーハーツ=生きてる時点で大興奮」マインドの、マーシー版のわかりやすい例でもある。そのまま「生きてる事が大好きで 意味もなくコーフンしてる」というラインがあります。
10.星をください(2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』・1987/11/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。都会に自分は見ることができない星と海に思いを馳せ、「星を下さい」「海を下さい」と訴える。この2枚目のアルバム『YOUNG AND PRETTY』から、メッセージの強さやラジカルさで聴き手にインパクトを残すタイプの曲ではなく、素朴でシンプルと言葉とメロディが心に沁み入っていくような、いわゆる「いい歌」を生み出す才能もブルーハーツにはあることが明らかになっていくが、その好例と言える曲。
11.ロクデナシ(2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』・1987/11/21リリース)
作詞・作曲:真島昌利。この曲は2ndアルバムの4曲目、“ロクデナシⅡ(ギター弾きに部屋は無し)”は2曲目に入っている。“ロクデナシⅡ”はタイトルどおり、不動産屋のオヤジに「ギター弾きに貸す部屋はねえ」と断られたりバイトの面接で冷たくあしらわれたりする曲で、“ロクデナシ”はそんなロクデナシである自分を認め、受け入れ、「劣等生でじゅうぶんだ はみだし者でかまわない」と肯定し、開き直る曲。書いた順番はこの曲の方が先だったが、“Ⅱ”を書いたら内容的にそっちを先に聴いたほうがよい、と判断してそういう曲順にしたのだと思います。
12.キスしてほしい(2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』・1987/11/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。2ndシングル。シンプルなエイトビートにのせて、「はちきれそうだ とび出しそうだ 生きているのが すばらしすぎる」という歌う、ストレートなラブソング。“星をください”と同じく、この時期から生まれ始めた「素直にいい曲」の代表と言える。そのせいか、ブルーハーツ解散以降も何年かおきにCMに使われたり、誰かがカヴァーしたりすることが多くて、頻繁に耳にする曲でもある。ただし、歌詞、シンプルだが聴けば聴くほど深い。4人がキャラになって登場する全編アニメーションのPVのかわいさも、印象的でした(DVD参照)。
13.ブルーハーツのテーマ(自主制作・1988/7/1リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。メジャーデビュー後にもかかわらず、当時の所属事務所のレーベル、ジャグラーレコードからインディー・リリースされたシングル(カップリングは“チェルノブイリ”と“シャララ”)。タイトルどおり、ライブの1曲目として定番化していた曲だが、「人殺し 銀行強盗 チンピラたち 手を合わせる刑務所の中」という歌い出し、すごい。そういう始まり方をした歌のシメが「あきらめるなんて死ぬまでないから」であるところもすごい。ブルーハーツは最初からブルーハーツであったことがよくわかる曲。
14.TRAIN-TRAIN(3rdシングル・1988/11/23リリース)
作詞・作曲:真島昌利。“リンダリンダ”と並ぶ、ザ・ブルーハーツの代表曲……いや、当時、TBS金曜21時のドラマ『はいすくーる落書』(主演:斉藤由貴)の主題歌になって大ヒットしたので、世間一般の認知はこっちのほうが上かもしれない。速い8ビートのリズム、哀しみや絶望もはらみつつ前向きな歌詞、シンプルで美しいメロディ、聴き手を高揚させる曲構成……と考えるといかにもブルハ王道の曲だが、ピアノを全面的に入れ、ストリングスまで加えたアレンジといい、歌い出しのヒロトの声のか細さといい、それまでのブルーハーツとは大きく違う冒険作でもあった。のちにヒロトがインタヴューで、この曲のリリース前、「これまでと違いすぎる」とマネージャーが心配した、という話をしていたのを憶えています。
15.僕の右手(3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』・1988/11/23リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。「僕の右手を知りませんか? 行方不明になりました」と、1行目からいきなり甲本ヒロトの天才性が炸裂する、なぜシングルにしなかったのかがいまだに不思議な名曲(そんな曲ブルハにはいっぱいあるが)。「見た事もないような ギターの弾き方で(マイクロフォンの握り方で) 聞いた事もないような 歌い方をしたい(歌い方 するよ)」というサビも強烈。いったい何をどうやったらこんな発想が出てくるのか、そしてそれがなぜこんなにもリアルに響くのか。あとこの曲、メロディに対する言葉ののせ方も、他の曲とは違う、ちょっと独特なものがある気がする。
16.ラブレター(4thシングル・1989/2/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。確か初めてバラードをシングルにした曲で、「あなたよ あなたよ しあわせになれ」とヒロトが切々と歌うラブソング。この曲も解散後、いろんな人にカヴァーされたりCMに使われたりした。アレンジ面では、ストリングスが加えられていたり間奏にコーラスを入れたりして、"TRAIN-TRAIN"と同じく、これまでやらなかったことにトライした曲でもある。あと、4人がアロハ&サングラス(梶くんを除く)&半パン姿で、ハワイの海辺で当て振り演奏したり振付ありで踊ったりしているPVが、なんだかとても新鮮だった記憶あり。
17.電光石火(4thシングル・1989/2/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。シングル“ラブレター”のカップリング曲で、3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』にも収録。当時のライヴにおけるキラーチューンであり、“TRAIN-TRAIN”などと並ぶ言わば王道ブルーハーツな1曲だが、よく聴くとハンドクラップが入っていたり、ギター・ダビングやコーラスなどのかぶせものが多かったりする。やはりこの曲も『TRAIN-TRAIN』期、つまり「アレンジでいろいろやってみたくなった時期」ならではの曲だと言える。あと歌詞、全体に「さすがヒロト」なすばらしさだが、後半の「歴史の本の最後のページ 白紙のままで 誰にも読めないよ 出かけよう さあ 出かけよう」「電光石火 電光石火 新しい星を見つける」が特にすばらしい。
18.青空(5thシングル・1989/6/21リリース)
作詞・作曲:真島昌利。世の矛盾と自分の無力さに対する虚無感や喪失感を端的にリアルに描く、もう本当に「これぞ真島昌利」な大名曲。大量の言葉や時間を使ってやっと伝えられるようなものを、3分とか4分ですべて表現してしまう、ロックンロールならではの魔法の最上級の例。「神様にワイロを贈り 天国へのパスポートを ねだるなんて本気なのか?」「生まれた所や皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう」「こんなはずじゃなかっただろ? 歴史が僕を問いつめる まぶしいほど青い空の真下で」と、歌詞、いちいちキラー・フレーズだらけ。それから、ヒロトの歌にマーシーがあの声でハモりをつけるこの感じ(途中からほぼツインヴォーカル状態)、ブルーハーツのファンはみんなたまらなく好きです。
DISC 2
1.情熱の薔薇(6thシングル・1990/7/25リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。言わずと知れた、ブルーハーツ中期を代表する大ヒット曲。"TRAIN-TRAIN"に続き、『はいすくーる落書2』の主題歌。速い8ビート、歪んだギター・サウンド、朗々と美しいメロディ、一見前向きでポジティヴなメッセージ性を持つ歌詞──と、人々がブルーハーツに求めるものが凝縮されたような曲だが、そんな曲に「見てきた物や聞いた事 今まで覚えた全部 でたらめだったら面白い そんな気持 ちわかるでしょう」「なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう そんな気持ちわかるでしょう」というラインがごく自然に入っているあたりがさすがブルーハーツ、とも言える。
2.イメージ(4thアルバム『BUST WASTE HIP』・1990/9/10リリース)
作詞・作曲:真島昌利。「どっかの坊ずが 親のスネかじりながら どっかの坊ずが 原発はいらねえってよ どうやらそれが新しいハヤリなんだな 明日はいったい何がハヤるんだろう」というフレーズで聴き手をギョッとさせ、「針が棒になり 隣の芝生今日も青い」で詩的才能を見せつけ、「カッコ良く生きていくのはどんな気がする カッコ良く人の頭を踏みつけながら」と問い、「クダらねえインチキばかりあふれてやがる ボタンを押してやるから吹っ飛んじまえ」で終わる、マーシー節(攻撃的になった時バージョン)が炸裂する必殺の1曲。
3.首つり台から(7thシングル・1991/4/10リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。これも中期ブルハを代表する1曲だが、ブルーハーツの活動史をふり返ると、「いかに“明るく前向き”なだけではないか」ということを、初期よりもわかりやすく表すようになったのがこの頃だったのではないか、と いう気がしてきた。「前しか見えない目玉をつけて」「お金のために苦しまないで 歴史に残る風来坊になるよ」という歌詞と並列に、「死んだら地獄へ落として欲しい」「100万ドルの賞金首だ つかまえておくれ 最高のラストシーンは」「首つり台から うたってあげる 首つり台から笑ってみせる」なのだから。曲名もずばり"首つり台から"だし。
4.あの娘にタッチ(8thシングル・1991/11/28リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。5thアルバム『HIGH KICKS』の先行シングル。この『HIGH KICKS』というアルバム自体、全体にちょっとフォーク寄りというか淡々としているというかたそがれ気味というか、ザ・ブルーハーツのキャリアの中でポコッと1枚変な位置にあるみたいな、バンドのここまでの流れからもこれ以降の流れからもはみ出しているような、そんなアルバムだが、その感じが端的に表れているのがこのシングル曲。当時ヒロトはインタヴューで「今までと違って、リラックスした、力が抜けた自分を置いてみたんだよ」と語っていた。
5.皆殺しのメロディ (5thアルバム『HIGH KICKS』・1992/12/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。初期ブルーハーツを思い出す、いやその頃よりも速い、メロコア(というジャンルは当時まだなかったが)のようなビートにのって「我々人類は バカ」「過去・現在・未来 バカ」と「バカ」を連呼するスピード・ナンバー。ただ、ハードコアよりもサイコビリーとかスカコア(も当時はなかったが)とかカントリーなどを想起させるテイストの曲でもある。という意味で、『HIGH KICKS』の中では浮いているようで実はそうでもない1曲。
6. TOO MUCH PAIN(5thアルバム『HIGH KICKS』・1992/3/10リリース
作詞・作曲:真島昌利。『HIGH KICKS』収録曲で、アルバム・リリース後にリカットされた、"チェインギャング""青空"の系譜に位置する、まさにマーシー節炸裂の超名曲。さびしさやむなしさや孤独感などを描かせたらマーシーの右に出るものはいないが、この曲で描かれているのは今まさに何かをなくそうとしている瞬間の喪失感と無力感と、でもそこで後戻りはしない(できない)自分。真島昌利は歌詞を書く人として優れているという以前に詩人として優れていることがよくわかる1曲。あと、もちろんメロディ・メーカーとしても。
7.夢(6thアルバム『STICK OUT』・1992/10/25リリース)
作詞・作曲:真島昌利。当時サントリービール「ライツ」のCMで使われた曲で、"TRAIN-TRAIN"や"情熱の薔薇"と同じく、いわゆるお茶の間レベルでヒットした。バンドのエンジンに再び火がつき、『HIGH KICKS』の、言わば「たそがれ時期」みたいな季節を脱したことを示す2枚のアルバム(半年のインターバルでリリースされた)『STICK OUT』と『DUG OUT』のうち、前者の先行シングルである。アッパーで前向き、かつただ前向きなだけではなく「限られた時間のなかで 借りものの時間 のなかで 本物の夢を見るんだ」という、ブルーハーツにしか書けないし歌えないサビが特にすばらしい。
8.すてごま(6thアルバム『STICK OUT』・1993/2/10リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。「君 ちょっと行ってくれないか すてごまになってくれないか いざこざにまきこまれて 死んでくれないか」というインパクト満載のサビに表れているように、PKO問題に直対応した曲。当時、ブルーハーツは『STICK OUT』『DUG OUT』のリリース前に、その2枚の収録曲をやりまくるツアーを行った。『PKO TOUR 92-93」というタイトルのツアーだった。次の曲に続く。
9.旅人(11thシングル・1993/2/25リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。「プルトニウムの風に Oh 吹かれていこう」という歌い出しが強烈なシングルで、『STICK OUT』リリース直後にリカットされた。『PKO TOUR』の『PKO』というのは『PUNCH KNOCK OUT』の略だと当時メンバーは説明していたが、前述のように「PKO=国際連合平和維持活動」によって自衛隊員が戦地等に派遣されるようになった件にかけている。社会事象や政治状況にここまで直接的に反応した曲を書いたのは、原子力発電に反対した"チェルノ ブイリ"の頃以来だった。
10.台風(11thシングル・1993/2/25リリース)
作詞・作曲:真島昌利。“旅人”のカップリング曲で、これも『STICK OUT』からのリカット。当時ホンダDio(原付スクーター)のCMソングになった。ストレートな8ビートの曲が圧倒的に多いブルーハーツの中ではめずらしい、イントロと間奏が6/8拍子で歌が入ると8ビートに戻る、という曲構成。基本的に、ほぼ「ものすごい台風が来る」ということのみを歌った曲だが、その中に「情報やデマが飛び交う 声のでかい奴が笑う」というラインがスッと入ってくるのがマーシーのマーシーたる所以。
11.月の爆撃機(6thアルバム『STICK OUT』・1993/2/10リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。「爆撃機」や「白い月」「黒い影」という言葉が出てくる歌詞といい、パンクに素朴で美しいメロディをのっけるやりかたといい、ヒロト王道の名曲だなあ、あとこの時期だから爆撃機なんだなあ、とか当時は思っていたが、これを書くにあたってじっくり聴き直して気がついたこと。この曲の主人公、爆撃機を見ている人だったのに、途中からコクピットの中にいる。同じ人なんだろうか。見ている側と操縦している側の2人の視点から歌われているんだろうか。ヒロトにきいたら「知らん」と言われると思う。
12.1000のバイオリン(12thシングル・1993/5/25リリース)
作詞・作曲:真島昌利。後期ブルハを代表する、というか日本のロック史に残る大名曲。すばらしすぎるがあまり、解散から10年くらい経ってから缶コーヒーのCMに使われたり、15年くらい経ってから宮﨑あおいがこの曲を歌いながら歩くCMが作られたりしたし、いまだにあちこちでかかっているのをよく耳にする。歌詞、曲展開、構成、アレンジ、マーシーの書いたメロディをヒロトが歌う時 のあの感じ、ヒロトの声にマーシーがハモリをつける時のあの感じなどなど、もうこれ以上はないくらい、ブルーハーツのすばらしさが1曲に凝縮された曲。特に「誰かに金を貸してた気がする そんなことはもうどうでもいいのだ 思い出は熱いトタン屋根の上 アイスクリームみたいに溶けてった」というライン、すごすぎ。日本のロック史上に残るフレーズ。
13.1001のバイオリン(12thシングル・1993/5/25リリース)
作詞・作曲:真島昌利。"1000のバイオリン"を、ヒロトの歌だけ残してバックをオーケストラにしたバージョン。バンドがストリングスを依頼する時は金原千恵子ストリングスか金子飛鳥ストリングスというセオリーが長年ロック業界にはあるが、この曲は後者、金子飛鳥ストリングス。
14.手紙(7thアルバム『DUG OUT』・1993/7/10リリース)
作詞・作曲:真島昌利。イントロは(おそらく)シタールで始まり、鍵盤にのってAメロが始まり、Bメロでリズムが入り、サビでは “1001のバイオリン”のようにストリングスが鳴り響く──という、ブルーハーツとしてはかなり異色な美しくドラマチックなサウンド・プロダクトの曲。「ジャングルジムの上 ひろがる海に」「ねじれた夜に 鈴をつければ 月に雪が降る」「背骨で聴いてる ハチミツの雨」などなど、詩人としての資質全開のマーシーの歌詞を淡々と歌うヒロトの声と、そのトラックが絶妙のマッチング。
15.パーティ(13thシングル・1993/8/25リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。曲を持ち寄ったらアルバム2枚分の数があり、全曲レコーディングして曲調によって2枚に分けて出すことにして、『STICK OUT』(アッパーな方)と『DUG OUT』(静かめな方)が作られた、というのはファンなら誰でも知っている話だが、その後者からのリカット・シングル。Aメロが四つ打ちだったり、オーバーダビングが多くていろんな楽器の音が重ねられていたり、サビに「パーパ パパパパパーパパパパパパ」というコーラスがびっしりかぶさっていたり、後半だんだん速くなって終わったり、と、ブルハの中ではちょっと異色なアレンジの曲。歌詞もヒロトの中では抽象性が高い。
16.夕暮れ(14thシングル・1993/10/25リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。これも『DUG OUT』からのリカット・シングルで、アコースティック・ギターとキーボード基調のミドル・チューンなのだが、「はっきりさせなくてもいい あやふやなまんまでいい 僕達はなんとなく幸せになるんだ」という、ブルーハーツのパブリック・イメージと正反対の歌いだしには、当時「おおっ」となったものです。2コーラス目の「幻なんかじゃない 人生は夢じゃない 僕達ははっきりと生きてるんだ」というフレーズで、さらに「おおっ!」となります。
17.歩く花(8thラスト・アルバム『PAN』・1995/7/10リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。すでにバンドの解散が決まっていたが、レコード会社の契約があと1枚あったため、メンバーそれぞれが自分で集めたメンバーでレコーディングしたり、ひとりで自宅録音したりして曲を持ち寄り、アルバムにしたのが『PAN』で、この曲を含むヒロトの3曲は、当時ブルーハーツとは別に結成したバンド、ザ・ヒューストンズ(ギター:三宅伸治、ベース:藤井裕、ドラム松本照夫)によるレコーディング。歌詞の「ガードレールを 飛び越えて センターラインを渡る風 その時 その瞬間 僕は一人で決めたんだ 僕は一人で決めたんだ」というあたり、解散を決意したことを匂わせるようです、あとになって聴けば。なお、ザ・ヒューストンズ、この作品のリリース前に確か数本のライヴを行っていたが(下北沢CLUB Queで観た記憶あり)、ヒロトは自身のことを甲本ヒロトではなく「キャプテン・アームストロング船長」だと言いはっており、衣装も宇宙っぽいものを身につけたりしていた(「両足に銀紙をびっちり巻く」というものだったが)。
18. もどっておくれよ(8thラスト・アルバム『PAN』・1995/7/10リリース)
作詞・作曲:真島昌利。ヒロトの“歩く花”と同じく、マーシーが自身でレコーディングして『PAN』に持ち寄った曲で、ヴォーカルはマーシー、バックは中期以降のレギュラー・サポートメンバーの白井幹夫のピアノと、ブルーハーツのディレクターでのちにザ・ハイロウズのメンバーになる大島賢治のドラム、そして金子飛鳥ストリングス。マーシーとしえはわりとストレートに、恋人との別れを歌っている。マーシーはブルーハーツのデビュー直後からバンドと並行してソロ活動も行っており、4枚のソロ・アルバムをリリースしているが、確かに、そちらに入っていてもおかしくないような曲調ではある。
兵庫慎司(ロッキング・オン)
DISC 1
01.1985 (自主制作・1985/12/24リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。初めてのザ・ブルーハーツの音源。結成直後の1985年のクリスマスイブに行ったライヴの入場者全員にソノシートで配られた。当時からメンバーは、この曲は1985年だけの曲で、今後の作品には収録しないしライヴでもやらないと決めており、ゆえに、解散直後に出たベスト・アルバム『SUPER BEST』に収録されるまでほぼ幻の1曲と化していた。この曲の中の「ぼくたちをしばりつけてひとりぼっちにさせようとした、すべての大人に感謝します。1985年、日本代表ブルーハーツ」という歌詞は、のちのファースト・アルバムのリリース時に「1985年」の部分をカットして、宣伝コピーとして使われた。
02.人にやさしく (自主制作・1987/2/25リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。メジャーデビュー直前、 所属事務所のインディーズ・レーベル、ジャグラーレコードからアナログシングルとしてリリースされた。「人にやさしく してもらえないんだね 僕が言ってやる でっかい声で言ってやる ガンバレって言ってやる 聞こえるかい ガンバレ!」と歌いきるこの曲は当時、「パンクでそんなストレートに前向きなことを言っていて、かつ説得力がすごい」という意味で、衝撃に満ちており、その後の日本のロックに大きな影響を与えた。バンドブーム期にもブルーハーツのフォロワーが多数登場したし、その10年後、つまり2000年代初頭の青春パンクブームのルーツにもブルーハーツがいたしこの曲があった。とまで言える曲。なお、ヒロトがブルーハーツ以前にやっていたバンド、ザ・コーツの頃からレパートリーにしていた曲でもある(“NO NO NO”や“少年の詩”なども然り)。
03.リンダリンダ(1stシングル・1987/5/1リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。ブルーハーツの中でもっとも有名な1曲、に留まらず、RCサクセション" 雨上がりの夜空に"と並ぶ、日本のロックのスタンダードとさえ言える名曲。メジャーデビュー・シングルにあたる曲で、デビューの名刺代わりにこの曲のPVが日本中にばらまかれた時のショックは相当のもので、あっという間に日本の中高生バンドが坊主のボーカリストと額にバンダナまいたギタリストだらけになった。私も何度聴いたかわからないくらい聴いたが、今冷静に聴き直すと「ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから」というあまりにも有名な歌い出し以外は、結構勢いまかせに書いたのでは、と思える歌でもある。いずれにしろ名曲には違いないが。
04.君のため(1stアルバム『THE BLUE HEARTS』・1987/5/21リリース)
作詞・作曲:真島昌利。1stアルバム全12曲のうちケツから2曲目に収録されている(ちなみにケツは“リンダリンダ”)、3拍子のバラード。マーシーによるバラードの名曲は数多くあるし、中にはラブソングもあるが、「わかりあえないこと」「わかりあえないという事実をかみしめること」などが主軸に置かれた曲が多く、この曲のように、ストレートに切々と愛や恋を歌う曲は少ないのではないかと思う。特に間奏の「好きです 誰よりも 何よりも 大好きです ごめんなさい 神様よりも 好きです」という語りは、のちにこのバンドに詳しくなっていけばいくほど「よくこんな直球なフレーズ書いたなあ、マーシー」という気がしたものです。
05.終わらない歌(1stアルバム『THE BLUE HEARTS』・1987/5/21リリース)
作詞・作曲:真島昌利。アッパーでストレートな曲にのせて「終わらない歌を歌おう」というリフレインと「明日には笑えるように」というシメのフレーズ以外は、キツかったことやツラかったことを延々と並べ立てた挙句「キチガイ扱いされた日々」と歌い切る、いわば「疎外された者による疎外された者のための歌」。2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』収録の“ロクデナシⅡ”や“ロクデナシ”もそうであるように、ブルーハーツ初期のマーシーの曲にはこのタイプのものも多く、同じく疎外感を抱えていた当時の少年少女たちが激しく共振した。いや、「当時の」ではなく以後ずっと、その時代の少年少女たちも、大人たちも共振し続けて現在に至る。
06.世界のまん中(1stアルバム『THE BLUE HEARTS』・1987/5/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。速い8ビートのドラム、ルート弾き主体のベース、メジャーコードをかき鳴らす歪みまくりのギター、と初期ブルーハーツの王道どまんなかな曲だし、一見前向きに響く歌詞も然りだが、よく聴くと「えっ!?」てひっかかるフレーズの宝庫でもある。「朝の光が 待てなくて 眠れない夜もあった」「生きるという事に 命をかけてみたい」など、まるで禅問答のよう。「生きてるだけで大興奮」「生きてることが大事件」みたいなマインドがザ・ブルーハーツの曲の中にはあって、それが時々そのまま曲に出ることがあるのだが、ヒロト版のそのわかりやすい例。
07.NO NO NO(1stアルバム『THE BLUE HEARTS』・1987/5/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。初期には多かったが中期頃から減っていく、政治や戦争などの具体的な社会事象に関するタームを用いた曲であり、「政治家にも 変えられない 僕たちの世代」「戦闘機が買えるぐらいのはした金ならいらない」あたりのストレートさが特にインパクトが強いが、キモは「どこかの爆弾より 目の前のあなたの方が ふるえる程 大事件さ 僕にとっては」というラインの方。このような「身もフタもないから誰も言わなかった真実を力いっぱい歌う」というヒロトの特性がダイレクトに出た曲。なお、コード展開、カッティングの感じ、スクラッチの効かせ方、ソロのフレージングなど、ギタリスト真島昌利のプレイスタイルが濃密につまっている曲でもある。
08.少年の詩(1stアルバム『THE BLUE HEARTS』・1987/5/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。「パパ、ママ お早ようございます」という歌い出しといい、「僕やっぱりゆうきが足りない 『I LOVE YOU』が言えない」という2コーラス目の頭といい、自分の考えていることや感じていることや行動を直接書くのではなく、主人公の少年を設定してその子の視点で書いているような感じ、という意味で、ブルーハーツとしてはちょっと異色な曲といえましょう(最後の5行で視点がヒロトに戻るが)。特に異色なのが「そしてナイフを持って立ってた」という結末のつけかた。
09.未来は僕等の手の中(1stアルバム『THE BLUE HEARTS』・1987/5/21リリース)
作詞・作曲:真島昌利。“リンダリンダ”でザ・ブルーハーツを知ってびっくりし、アルバムを手にして1曲目にこの曲が始まるや否やさらなるショックを受けて絶句、そのまま全12曲聴き終わる頃には頭の中がえらいことになっていた──そんな衝撃を日本中の青少年に与えた、記念すべき曲。“世界のまん中”に通じる、「ザ・ブルーハーツ=生きてる時点で大興奮」マインドの、マーシー版のわかりやすい例でもある。そのまま「生きてる事が大好きで 意味もなくコーフンしてる」というラインがあります。
10.星をください(2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』・1987/11/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。都会に自分は見ることができない星と海に思いを馳せ、「星を下さい」「海を下さい」と訴える。この2枚目のアルバム『YOUNG AND PRETTY』から、メッセージの強さやラジカルさで聴き手にインパクトを残すタイプの曲ではなく、素朴でシンプルと言葉とメロディが心に沁み入っていくような、いわゆる「いい歌」を生み出す才能もブルーハーツにはあることが明らかになっていくが、その好例と言える曲。
11.ロクデナシ(2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』・1987/11/21リリース)
作詞・作曲:真島昌利。この曲は2ndアルバムの4曲目、“ロクデナシⅡ(ギター弾きに部屋は無し)”は2曲目に入っている。“ロクデナシⅡ”はタイトルどおり、不動産屋のオヤジに「ギター弾きに貸す部屋はねえ」と断られたりバイトの面接で冷たくあしらわれたりする曲で、“ロクデナシ”はそんなロクデナシである自分を認め、受け入れ、「劣等生でじゅうぶんだ はみだし者でかまわない」と肯定し、開き直る曲。書いた順番はこの曲の方が先だったが、“Ⅱ”を書いたら内容的にそっちを先に聴いたほうがよい、と判断してそういう曲順にしたのだと思います。
12.キスしてほしい(2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』・1987/11/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。2ndシングル。シンプルなエイトビートにのせて、「はちきれそうだ とび出しそうだ 生きているのが すばらしすぎる」という歌う、ストレートなラブソング。“星をください”と同じく、この時期から生まれ始めた「素直にいい曲」の代表と言える。そのせいか、ブルーハーツ解散以降も何年かおきにCMに使われたり、誰かがカヴァーしたりすることが多くて、頻繁に耳にする曲でもある。ただし、歌詞、シンプルだが聴けば聴くほど深い。4人がキャラになって登場する全編アニメーションのPVのかわいさも、印象的でした(DVD参照)。
13.ブルーハーツのテーマ(自主制作・1988/7/1リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。メジャーデビュー後にもかかわらず、当時の所属事務所のレーベル、ジャグラーレコードからインディー・リリースされたシングル(カップリングは“チェルノブイリ”と“シャララ”)。タイトルどおり、ライブの1曲目として定番化していた曲だが、「人殺し 銀行強盗 チンピラたち 手を合わせる刑務所の中」という歌い出し、すごい。そういう始まり方をした歌のシメが「あきらめるなんて死ぬまでないから」であるところもすごい。ブルーハーツは最初からブルーハーツであったことがよくわかる曲。
14.TRAIN-TRAIN(3rdシングル・1988/11/23リリース)
作詞・作曲:真島昌利。“リンダリンダ”と並ぶ、ザ・ブルーハーツの代表曲……いや、当時、TBS金曜21時のドラマ『はいすくーる落書』(主演:斉藤由貴)の主題歌になって大ヒットしたので、世間一般の認知はこっちのほうが上かもしれない。速い8ビートのリズム、哀しみや絶望もはらみつつ前向きな歌詞、シンプルで美しいメロディ、聴き手を高揚させる曲構成……と考えるといかにもブルハ王道の曲だが、ピアノを全面的に入れ、ストリングスまで加えたアレンジといい、歌い出しのヒロトの声のか細さといい、それまでのブルーハーツとは大きく違う冒険作でもあった。のちにヒロトがインタヴューで、この曲のリリース前、「これまでと違いすぎる」とマネージャーが心配した、という話をしていたのを憶えています。
15.僕の右手(3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』・1988/11/23リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。「僕の右手を知りませんか? 行方不明になりました」と、1行目からいきなり甲本ヒロトの天才性が炸裂する、なぜシングルにしなかったのかがいまだに不思議な名曲(そんな曲ブルハにはいっぱいあるが)。「見た事もないような ギターの弾き方で(マイクロフォンの握り方で) 聞いた事もないような 歌い方をしたい(歌い方 するよ)」というサビも強烈。いったい何をどうやったらこんな発想が出てくるのか、そしてそれがなぜこんなにもリアルに響くのか。あとこの曲、メロディに対する言葉ののせ方も、他の曲とは違う、ちょっと独特なものがある気がする。
16.ラブレター(4thシングル・1989/2/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。確か初めてバラードをシングルにした曲で、「あなたよ あなたよ しあわせになれ」とヒロトが切々と歌うラブソング。この曲も解散後、いろんな人にカヴァーされたりCMに使われたりした。アレンジ面では、ストリングスが加えられていたり間奏にコーラスを入れたりして、"TRAIN-TRAIN"と同じく、これまでやらなかったことにトライした曲でもある。あと、4人がアロハ&サングラス(梶くんを除く)&半パン姿で、ハワイの海辺で当て振り演奏したり振付ありで踊ったりしているPVが、なんだかとても新鮮だった記憶あり。
17.電光石火(4thシングル・1989/2/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。シングル“ラブレター”のカップリング曲で、3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』にも収録。当時のライヴにおけるキラーチューンであり、“TRAIN-TRAIN”などと並ぶ言わば王道ブルーハーツな1曲だが、よく聴くとハンドクラップが入っていたり、ギター・ダビングやコーラスなどのかぶせものが多かったりする。やはりこの曲も『TRAIN-TRAIN』期、つまり「アレンジでいろいろやってみたくなった時期」ならではの曲だと言える。あと歌詞、全体に「さすがヒロト」なすばらしさだが、後半の「歴史の本の最後のページ 白紙のままで 誰にも読めないよ 出かけよう さあ 出かけよう」「電光石火 電光石火 新しい星を見つける」が特にすばらしい。
18.青空(5thシングル・1989/6/21リリース)
作詞・作曲:真島昌利。世の矛盾と自分の無力さに対する虚無感や喪失感を端的にリアルに描く、もう本当に「これぞ真島昌利」な大名曲。大量の言葉や時間を使ってやっと伝えられるようなものを、3分とか4分ですべて表現してしまう、ロックンロールならではの魔法の最上級の例。「神様にワイロを贈り 天国へのパスポートを ねだるなんて本気なのか?」「生まれた所や皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう」「こんなはずじゃなかっただろ? 歴史が僕を問いつめる まぶしいほど青い空の真下で」と、歌詞、いちいちキラー・フレーズだらけ。それから、ヒロトの歌にマーシーがあの声でハモりをつけるこの感じ(途中からほぼツインヴォーカル状態)、ブルーハーツのファンはみんなたまらなく好きです。
DISC 2
1.情熱の薔薇(6thシングル・1990/7/25リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。言わずと知れた、ブルーハーツ中期を代表する大ヒット曲。"TRAIN-TRAIN"に続き、『はいすくーる落書2』の主題歌。速い8ビート、歪んだギター・サウンド、朗々と美しいメロディ、一見前向きでポジティヴなメッセージ性を持つ歌詞──と、人々がブルーハーツに求めるものが凝縮されたような曲だが、そんな曲に「見てきた物や聞いた事 今まで覚えた全部 でたらめだったら面白い そんな気持 ちわかるでしょう」「なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう そんな気持ちわかるでしょう」というラインがごく自然に入っているあたりがさすがブルーハーツ、とも言える。
2.イメージ(4thアルバム『BUST WASTE HIP』・1990/9/10リリース)
作詞・作曲:真島昌利。「どっかの坊ずが 親のスネかじりながら どっかの坊ずが 原発はいらねえってよ どうやらそれが新しいハヤリなんだな 明日はいったい何がハヤるんだろう」というフレーズで聴き手をギョッとさせ、「針が棒になり 隣の芝生今日も青い」で詩的才能を見せつけ、「カッコ良く生きていくのはどんな気がする カッコ良く人の頭を踏みつけながら」と問い、「クダらねえインチキばかりあふれてやがる ボタンを押してやるから吹っ飛んじまえ」で終わる、マーシー節(攻撃的になった時バージョン)が炸裂する必殺の1曲。
3.首つり台から(7thシングル・1991/4/10リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。これも中期ブルハを代表する1曲だが、ブルーハーツの活動史をふり返ると、「いかに“明るく前向き”なだけではないか」ということを、初期よりもわかりやすく表すようになったのがこの頃だったのではないか、と いう気がしてきた。「前しか見えない目玉をつけて」「お金のために苦しまないで 歴史に残る風来坊になるよ」という歌詞と並列に、「死んだら地獄へ落として欲しい」「100万ドルの賞金首だ つかまえておくれ 最高のラストシーンは」「首つり台から うたってあげる 首つり台から笑ってみせる」なのだから。曲名もずばり"首つり台から"だし。
4.あの娘にタッチ(8thシングル・1991/11/28リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。5thアルバム『HIGH KICKS』の先行シングル。この『HIGH KICKS』というアルバム自体、全体にちょっとフォーク寄りというか淡々としているというかたそがれ気味というか、ザ・ブルーハーツのキャリアの中でポコッと1枚変な位置にあるみたいな、バンドのここまでの流れからもこれ以降の流れからもはみ出しているような、そんなアルバムだが、その感じが端的に表れているのがこのシングル曲。当時ヒロトはインタヴューで「今までと違って、リラックスした、力が抜けた自分を置いてみたんだよ」と語っていた。
5.皆殺しのメロディ (5thアルバム『HIGH KICKS』・1992/12/21リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。初期ブルーハーツを思い出す、いやその頃よりも速い、メロコア(というジャンルは当時まだなかったが)のようなビートにのって「我々人類は バカ」「過去・現在・未来 バカ」と「バカ」を連呼するスピード・ナンバー。ただ、ハードコアよりもサイコビリーとかスカコア(も当時はなかったが)とかカントリーなどを想起させるテイストの曲でもある。という意味で、『HIGH KICKS』の中では浮いているようで実はそうでもない1曲。
6. TOO MUCH PAIN(5thアルバム『HIGH KICKS』・1992/3/10リリース
作詞・作曲:真島昌利。『HIGH KICKS』収録曲で、アルバム・リリース後にリカットされた、"チェインギャング""青空"の系譜に位置する、まさにマーシー節炸裂の超名曲。さびしさやむなしさや孤独感などを描かせたらマーシーの右に出るものはいないが、この曲で描かれているのは今まさに何かをなくそうとしている瞬間の喪失感と無力感と、でもそこで後戻りはしない(できない)自分。真島昌利は歌詞を書く人として優れているという以前に詩人として優れていることがよくわかる1曲。あと、もちろんメロディ・メーカーとしても。
7.夢(6thアルバム『STICK OUT』・1992/10/25リリース)
作詞・作曲:真島昌利。当時サントリービール「ライツ」のCMで使われた曲で、"TRAIN-TRAIN"や"情熱の薔薇"と同じく、いわゆるお茶の間レベルでヒットした。バンドのエンジンに再び火がつき、『HIGH KICKS』の、言わば「たそがれ時期」みたいな季節を脱したことを示す2枚のアルバム(半年のインターバルでリリースされた)『STICK OUT』と『DUG OUT』のうち、前者の先行シングルである。アッパーで前向き、かつただ前向きなだけではなく「限られた時間のなかで 借りものの時間 のなかで 本物の夢を見るんだ」という、ブルーハーツにしか書けないし歌えないサビが特にすばらしい。
8.すてごま(6thアルバム『STICK OUT』・1993/2/10リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。「君 ちょっと行ってくれないか すてごまになってくれないか いざこざにまきこまれて 死んでくれないか」というインパクト満載のサビに表れているように、PKO問題に直対応した曲。当時、ブルーハーツは『STICK OUT』『DUG OUT』のリリース前に、その2枚の収録曲をやりまくるツアーを行った。『PKO TOUR 92-93」というタイトルのツアーだった。次の曲に続く。
9.旅人(11thシングル・1993/2/25リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。「プルトニウムの風に Oh 吹かれていこう」という歌い出しが強烈なシングルで、『STICK OUT』リリース直後にリカットされた。『PKO TOUR』の『PKO』というのは『PUNCH KNOCK OUT』の略だと当時メンバーは説明していたが、前述のように「PKO=国際連合平和維持活動」によって自衛隊員が戦地等に派遣されるようになった件にかけている。社会事象や政治状況にここまで直接的に反応した曲を書いたのは、原子力発電に反対した"チェルノ ブイリ"の頃以来だった。
10.台風(11thシングル・1993/2/25リリース)
作詞・作曲:真島昌利。“旅人”のカップリング曲で、これも『STICK OUT』からのリカット。当時ホンダDio(原付スクーター)のCMソングになった。ストレートな8ビートの曲が圧倒的に多いブルーハーツの中ではめずらしい、イントロと間奏が6/8拍子で歌が入ると8ビートに戻る、という曲構成。基本的に、ほぼ「ものすごい台風が来る」ということのみを歌った曲だが、その中に「情報やデマが飛び交う 声のでかい奴が笑う」というラインがスッと入ってくるのがマーシーのマーシーたる所以。
11.月の爆撃機(6thアルバム『STICK OUT』・1993/2/10リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。「爆撃機」や「白い月」「黒い影」という言葉が出てくる歌詞といい、パンクに素朴で美しいメロディをのっけるやりかたといい、ヒロト王道の名曲だなあ、あとこの時期だから爆撃機なんだなあ、とか当時は思っていたが、これを書くにあたってじっくり聴き直して気がついたこと。この曲の主人公、爆撃機を見ている人だったのに、途中からコクピットの中にいる。同じ人なんだろうか。見ている側と操縦している側の2人の視点から歌われているんだろうか。ヒロトにきいたら「知らん」と言われると思う。
12.1000のバイオリン(12thシングル・1993/5/25リリース)
作詞・作曲:真島昌利。後期ブルハを代表する、というか日本のロック史に残る大名曲。すばらしすぎるがあまり、解散から10年くらい経ってから缶コーヒーのCMに使われたり、15年くらい経ってから宮﨑あおいがこの曲を歌いながら歩くCMが作られたりしたし、いまだにあちこちでかかっているのをよく耳にする。歌詞、曲展開、構成、アレンジ、マーシーの書いたメロディをヒロトが歌う時 のあの感じ、ヒロトの声にマーシーがハモリをつける時のあの感じなどなど、もうこれ以上はないくらい、ブルーハーツのすばらしさが1曲に凝縮された曲。特に「誰かに金を貸してた気がする そんなことはもうどうでもいいのだ 思い出は熱いトタン屋根の上 アイスクリームみたいに溶けてった」というライン、すごすぎ。日本のロック史上に残るフレーズ。
13.1001のバイオリン(12thシングル・1993/5/25リリース)
作詞・作曲:真島昌利。"1000のバイオリン"を、ヒロトの歌だけ残してバックをオーケストラにしたバージョン。バンドがストリングスを依頼する時は金原千恵子ストリングスか金子飛鳥ストリングスというセオリーが長年ロック業界にはあるが、この曲は後者、金子飛鳥ストリングス。
14.手紙(7thアルバム『DUG OUT』・1993/7/10リリース)
作詞・作曲:真島昌利。イントロは(おそらく)シタールで始まり、鍵盤にのってAメロが始まり、Bメロでリズムが入り、サビでは “1001のバイオリン”のようにストリングスが鳴り響く──という、ブルーハーツとしてはかなり異色な美しくドラマチックなサウンド・プロダクトの曲。「ジャングルジムの上 ひろがる海に」「ねじれた夜に 鈴をつければ 月に雪が降る」「背骨で聴いてる ハチミツの雨」などなど、詩人としての資質全開のマーシーの歌詞を淡々と歌うヒロトの声と、そのトラックが絶妙のマッチング。
15.パーティ(13thシングル・1993/8/25リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。曲を持ち寄ったらアルバム2枚分の数があり、全曲レコーディングして曲調によって2枚に分けて出すことにして、『STICK OUT』(アッパーな方)と『DUG OUT』(静かめな方)が作られた、というのはファンなら誰でも知っている話だが、その後者からのリカット・シングル。Aメロが四つ打ちだったり、オーバーダビングが多くていろんな楽器の音が重ねられていたり、サビに「パーパ パパパパパーパパパパパパ」というコーラスがびっしりかぶさっていたり、後半だんだん速くなって終わったり、と、ブルハの中ではちょっと異色なアレンジの曲。歌詞もヒロトの中では抽象性が高い。
16.夕暮れ(14thシングル・1993/10/25リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。これも『DUG OUT』からのリカット・シングルで、アコースティック・ギターとキーボード基調のミドル・チューンなのだが、「はっきりさせなくてもいい あやふやなまんまでいい 僕達はなんとなく幸せになるんだ」という、ブルーハーツのパブリック・イメージと正反対の歌いだしには、当時「おおっ」となったものです。2コーラス目の「幻なんかじゃない 人生は夢じゃない 僕達ははっきりと生きてるんだ」というフレーズで、さらに「おおっ!」となります。
17.歩く花(8thラスト・アルバム『PAN』・1995/7/10リリース)
作詞・作曲:甲本ヒロト。すでにバンドの解散が決まっていたが、レコード会社の契約があと1枚あったため、メンバーそれぞれが自分で集めたメンバーでレコーディングしたり、ひとりで自宅録音したりして曲を持ち寄り、アルバムにしたのが『PAN』で、この曲を含むヒロトの3曲は、当時ブルーハーツとは別に結成したバンド、ザ・ヒューストンズ(ギター:三宅伸治、ベース:藤井裕、ドラム松本照夫)によるレコーディング。歌詞の「ガードレールを 飛び越えて センターラインを渡る風 その時 その瞬間 僕は一人で決めたんだ 僕は一人で決めたんだ」というあたり、解散を決意したことを匂わせるようです、あとになって聴けば。なお、ザ・ヒューストンズ、この作品のリリース前に確か数本のライヴを行っていたが(下北沢CLUB Queで観た記憶あり)、ヒロトは自身のことを甲本ヒロトではなく「キャプテン・アームストロング船長」だと言いはっており、衣装も宇宙っぽいものを身につけたりしていた(「両足に銀紙をびっちり巻く」というものだったが)。
18. もどっておくれよ(8thラスト・アルバム『PAN』・1995/7/10リリース)
作詞・作曲:真島昌利。ヒロトの“歩く花”と同じく、マーシーが自身でレコーディングして『PAN』に持ち寄った曲で、ヴォーカルはマーシー、バックは中期以降のレギュラー・サポートメンバーの白井幹夫のピアノと、ブルーハーツのディレクターでのちにザ・ハイロウズのメンバーになる大島賢治のドラム、そして金子飛鳥ストリングス。マーシーとしえはわりとストレートに、恋人との別れを歌っている。マーシーはブルーハーツのデビュー直後からバンドと並行してソロ活動も行っており、4枚のソロ・アルバムをリリースしているが、確かに、そちらに入っていてもおかしくないような曲調ではある。