煌-BEST- オフィシャルインタビュー


TEXT:荒金良介

ひめキュンフルーツ缶:

岡本真依(まい)/奥村真友里(まゆり)/菊原結里亜(ゆりあ)/谷尾桜子(さくらこ)



 
――ひめキュンフルーツ缶は10年に8人組のご当地アイドルとして結成されました。当時は明確なアイドル像ってありました?

岡本真依:私は何も考えてなくて、ただ楽しい!って感じでしたね。こういうアイドル像みたいなものもなくて。
 
奥村真友里:当時AKB48が流行っていたので、アイドルってこういう感じなのかって。

菊原結里亜:こういうアイドルになりたいというより、キラキラした世界に入りたいという軽い気持ちでした(笑)。
 
岡本:みんなアイドルになりたい!というより、芸能界に入りたくて、そのチャンスが愛媛であったから、受けてみようと。地元だったら、親も許してくれるかなって。

――谷尾さんはどうですか?
 
谷尾桜子:確かにアイドルというより、歌とダンスがしたくて。当時はハロプロが好きだったし、AKB48も流行ってましたからね。
 
――ひめキュンとして動き始めてから、自分たちなりのアイドル像を模索して?
 
谷尾:素な感じでやって、その延長線上に見えてきた感じですね。
 
――メンバー個々の人間性で勝負するみたいな?
谷尾:ああ、そうですね。
 
菊原:キャラ付けされても、できないだろうから。
 
岡本:最初は守れるけど、途中でボロが出る(笑)。
 
――そして、11年3月に「恋愛エネルギー保存の法則」でCDデビューを飾ります。当時を振り返っていかがですか?
菊原:ワクワクしてたし、MV撮影!?って、それも嬉しくて。単純にすべてが初めてだったから。逆に不安もなく、楽しさで溢れてました。
 
岡本:学校ノリというか。
 
菊原:実際、放課後にレッスンやレコーディングをしてましたからね。
 
――いい意味でこの時期にしか出せない青春感は曲に出てますよね。
 
菊原:初々しさはマックスですね(笑)。当時は女の子大勢でいるだけで楽しい!って感じだったから。
 
奥村:当時は8人いて、後ろで踊ってる方だったから、プレッシャーもなくて。
 
谷尾:みんな楽しそうでしたね。
 
岡本:そう! リーダーだけは私は違いますよ、という雰囲気を出してました。
 
菊原:最近は一番ハシャイでるのに。
 
――はははは。
谷尾:上京する予定だったけど、そこで自分の人生の舵を切ったから、真剣だったんですよ。みんなお遊びでやってるから。
 
ひめキュン:ははははは。
 
谷尾:ちょっとイラッとして、一人でずっと闘ってました。
 
――対・自分みたいな?
谷尾:そうです。まあ、メンバーの中でも年上でしたからね。
 
――そして、ひめキュンの転機としては8人から5人になり、そのタイミングで谷尾さんがリーダーに就任するわけで。
菊原:最初は拒んだもんね?
 
谷尾:自分一人で闘ってきたから、みんなをまとめる自信がなくて。
 
菊原:ははははは。
 
岡本:初代リーダーに頼りすぎていたよね、という話になり、それぞれで助け合いながら、さく(谷尾)がリーダーと決めづけずに、それぞれが得意分野で引っ張ろうと。8人から5人になったことで、みんな危機感はありましたね。
奥村:ちゃんとしなきゃいけないと思いましたね。5人になって、団結力が深まって、練習もすごくしたから。やる気に満ち溢れてました。
菊原:私も歌割りほしい、前に出たいという気持ちが強くなって。やめたメンバーを見返してやりたい、という気持ちもありましたからね。
 
――ひめキュンに真剣に向き合うようになったと。
 
菊原:「例えばのモンスター」から今に通じるロック調に変わったので、それもみんな素直に受け入れられて。
 
岡本:わっ、新しい!と思って。
 
菊原:個々に歌割りをもらえたし、ライヴもどんどん激しくなって、徐々に自分たちらしさが見えた頃ですね。東京にも出るようになったから。
 
――そこでまた変わりました?
 
菊原:東京はライヴの雰囲気が全然違うなと思いました。お客さんがライヴ慣れしてるから、盛り上げてくれるだろ?って感じで。それに負けちゃいけないなと。だけど、東京出てしばらくは、お客さんの気分に左右されてましたね。 谷尾 最初は踊りだけきちんとやる感じでしたから。それから煽りを入れるようになりました。お客さんのテンションに左右されないために、自分たちのクオリティやモチベーションを挙げて、ステージ力を付けていこうと。
 
――最初はアイドルの対バンが多かったんですか?
 
谷尾:最初はそうですね。
 
岡本:5人になって、「@JAM THE FIELD」に出させてもらったり。ニューロティカさんとも対バンしました。
 
谷尾:地元の濃い活動も大事にしつつ、全国に行ってたので、忙しかったですね。毎日眠かったです。
 
――今でこそバンドとアイドルが一緒にライヴをやるのは珍しくない時代になりましたけど、ひめキュンは先陣を切る形でバンドと対バンしてましたよね。
 
岡本:社長の横の繋がりが広くて、ライヴハウスもそうだし、バンドの人たちも知ってるから。ニューロティカはそれでセッティングしてもらいました。
 
菊原:よくわからないままやっていたから・・・ニューロティカは派手なおじさんだなと(笑)。
 
岡本:GARLIC BOYSもそうですね。「あんた飛ばしすぎ」の凄みもわからないまま、面白いおじさんたちだなって。
 
――面白いおじさん(笑)! バンドと対バンが増えた頃はどんな心境でした?
 
菊原:自分たちもバック・バンドがつくことが増えたので、難しかったですね。
 
岡本:最初は口パクだったけど、それから生歌にシフトしましたからね。
 
菊原:あのダンスで生歌はできないだろうと思ってました。スタッフさんからも「歌えるように作ってなかった」と言われて。
 
岡本:いや、やるしっ!って。あと、バンドの人はその日の気分で言葉を変えたりして、それもかっこいいなと。それは自分たちも取り込もうと。
 
――実際、歌とダンスの両立は大変でした?
 
岡本:ライヴで練習しているような感覚でしたね。
 
谷尾:みんなより歌が好きになったんじゃないかな。
 
――それから13年に「アンダンテ」でメジャー・デビューし、同年に「MONSTER baSH 2013」に出演しましたが、この時のラインナップがまた凄いですね。
 
岡本:すごい人たちに挟まれてましたからね、ONE OK ROCKとか。



――そのときのステージは覚えてますか?
 
谷尾:ゆん(菊原)が伝説の言葉を言ったんですよ。
 
菊原:「アイドルだからって、ナメんじゃねえぞ!」と言ったのは、若気の至りです。
 
全員:ははははは。
 
――何かしら爪痕を残そうと?
 
菊原:うん、目立ちたいと思ってました。
 
全員:ははははは。
 
岡本:ライヴ自体はすっごく楽しかったです。あんな大人数は観たことなかったし、こんなにノッてくれる人たちがいるんだ!って。
 
――この頃は自信も付いてきた頃?
 
菊原:勢いはありましたね。
 
谷尾:怖いもの知らずでした。知識がなかったので、飛び込むだけみたいな。
 
奥村:反省会もなかったもんね、楽しかったー!って。
 
――メジャーデビュー以降、環境的に変わったところは?
 
菊原:その前はこういう取材もなかったから、急に曲について聞かれるので、戸惑いました(笑)。私たちはライヴをやって楽しい!という感覚しかなかったから。曲と向き合うきっかけになりましたね。歌詞は読み込まないといけないんだって。
 
奥村:ちゃんとしなきゃって。
 
岡本:質問の意味がわからなすぎて、キャンペーンに行きたくなくて。
 
全員:ははははは。
 
岡本:歌詞を読み込むって何?って、そのまま書いてるやんって。
 
――まあ、そうなんですけど(笑)。
 
岡本:でも「覚醒ミライ」あたりから、わかるようになりました。
 
菊原:「覚醒ミライ」で覚醒した!と言ってたもんね。
 
岡本:そう!
 
――わりと最近じゃないですか?
 
岡本:そうなんですよ(笑)。
 
谷尾:あと、いろんなバンドと対バンするようになりました。
 
岡本:兄貴が増えましたね。四星球と運動会をやったのはいい思い出ですね。四星球のお客さんもひめキュン面白いねと思ってくれただろうし、ひめキュンのお客さんもこんな面白いバンドいるんだと思ってもらえただろうから。
 
菊原:私はめっちゃ最近になるけど、怒髪天のメンバーと一緒にツアーを回ったことが大きくて。
 
谷尾:それはメンバー全員そうやわ。
 
菊原:私は歌がずっと課題で・・・メラメラしていた頃は目立ちたいから、歌いたい!って感じだったけど。
 
全員:ははははは。
 
谷尾:Cメロ歌いたいと言ってたよね?
 
菊原:そう! 歌い出しとCメロは目立つから。何としても取りたくて。
 
――全部そこなんですね(笑)。
 
菊原:でも怒髪天のライヴを観て、こんなに楽しそうに音楽をやる人たちがいるんだと。増子さんと話して、歌詞に対する気持ち、歌詞を表現する力を身近に感じて。歌とちゃんと向き合わなきゃダメだなと。メンバー一人ひとりが歌に気持ちを込めてこそ、ライヴでも力を発揮できるから。それでようやく歌うことが好きになりました。
 
奥村:私は激突バトルという企画でまいまい(岡本)が倒れちゃって。メイン・ヴォーカルなしで挑んだときに、ボロボロだったから。ああ、まいまいは大事な存在だなと。
 
岡本:それまでいらないと思ってたの?(笑)。
 
全員:ははははは。
 
谷尾:私も怒髪天との出会いが大きくて。みんなで世界観を作り上げている感じを観て、私が表現したいものはこれだ!と思いました。それはこれからも大事にしていきたい宝物ですね。ライヴで印象に残っているのは一昨年のひめキュン祭ですね。5周年だったから、自分たちと縁の深いバンドを呼んだんですよ。バンドってお互いに関係性があって、一緒に高め合う文化があるじゃないですか。これはすごく楽しいし、私たちもこういう風にやっていきたいなと。それから対バンするときは事前にバンドについて調べてライヴのMCで触れたり、楽屋で交流を図って、ひとつひとつの出会いを大切にしようと。自分だけで突き進むんじゃなく、音楽をやってる人たちで輪を広げていけたらいいなと。
 
――完全にバンドマンの発言ですね(笑)。
 
谷尾:ははははは。
 
――それはバンド・カルチャーの良いところですよね。それでひめキュンとしては16年1月に過去最大のキャパの地元愛媛のひめぎんホール・サブホールでワンマンを行ったことも大きなトピックですよね?
 
菊原:そうですね。確か当日に完売したんですよね。
 
谷尾:8人時代からずっとひめぎんホールでやりたいと言って。サブホールだけど、成功させることができたから。初めて舞台のセットを組んだり、楽しかったですね。時間はギリギリだったけど。
 
岡本:そう。それに向けて、レッスンもやりましたからね。
 
奥村:ひとつの目標に向かって、みんなで頑張れたから、すごくやりがいはありましたね。
 
菊原:ひめぎんホールに立ったときはすごく楽しかったけど、まだいける!と思いましたからね。
 
岡本:みんな言ってたもんね。
 
菊原:もっとすごい景色を観たい!という気持ちは持ち続けたいですね。
 
奥村:全国や海外から来てくれる人もいましたからね。
 
谷尾:DVD化もされているから、将来残るものですからね。
 
岡本:地元のメディアも特別番組を作ってくれて、5回ほど取材してくれましたからね。街ぐるみで応援してもらえたから、これまで頑張ってきて良かったなと。
 
――ええ。そして、この話題にも触れないわけにはいかなくて・・・今年6月に河野穂乃花さんが卒業し、10月末にはメンバー全員卒業という形になりました。これはどういう経緯でそうなったんでしょうか?
 
岡本:8人から5人になったときに、この5人で頑張ろうね! 誰か一人でも欠けたら終わりね!という話をしてたんですよ。
 
――その頃から考えていたことなんですね。
 
岡本:そうなんです。それで体調不良でなかなか戻れないことがわかったので・・・先に卒業という形になったんですけど。5人じゃないひめキュンはひめキュンじゃないというか、あまりいい未来が見えなかったから。じゃあ、この機会に卒業して、次のステップに行こうと。いっぱい話し合って決めました。
 
――選択肢はいろいろありますもんね。
 
岡本:新メンバーを入れる選択もあったけど、卒業を選びました。今回は全員卒業という形になりましたけど、10月末まで必死に頑張ります。みんなに卒業を発表するまでが、ちょっとしんどかったんですけどね。
 
菊原:2カ月ぐらい話し合いました。ひめキュンは5人で作り上げたものだし、5人だからこそ向き合えた音楽だから。4人でやる選択肢もあったかもしれないけど、違和感がありましたね。
 
岡本:対バン相手の方にも、5人の個性がそれぞれあるからこそ、ひめキュンだよねって言われたし。それを私たち自身も実感していたから。ただ、たくさんの方にお世話になったし、せっかく怒髪天とも密な関係になれたし、バンドさんとも仲良くなれたから・・・ここで卒業するのは嫌だったけど、4人のひめキュンに自分たちがちゃんと向き合えないと思ったから。
 
――5人で築き上げてきたものがあまりに大きかったと。
 
谷尾:そうですね。5人だからこそ、無限に走れる感じがありましたからね。ひめキュンとしては、この7年でやり尽くしたかなと。だから、今のツアーは前向きな気持ちで挑んでます。
 
奥村:ひめキュンはいい曲がたくさんあるし、名前は愛媛でも知られているから、新しいメンバーに引き継いでもらえるのはいいことかなと。
 
――わかりました。8月2日にはベスト・アルバム『煌-BEST-』が発表されることになりました。メンバー一人ずつ思い入れのある楽曲を上げてもらってもいいですか?
 
奥村:私は「覚醒ミライ」ですね。その頃はオーディションがあったり、ツアー中だったり、教習所にも通っていたので(笑)。自分を見失っていた時期だったけど、この曲に勇気をもらえましたからね。


 
谷尾:私は「バズワード」です。Cメロを歌っているんですけど、その歌詞が好きで。ブログでも歌詞を引用することがあるし、レコーディング時にも「ここに桜子しか歌えないから」と言ってもらえて。「素直になれる場所 僕等一番光る場所」という歌詞があるんですけど、それはまさにひめキュンのステージのことだなと思っているので。「バズワード」は大事な曲ですね。
 
菊原:私は「ハルカナタ」ですね。さっきから目立ちたいと言いましたけど・・・落ちサビのソロパートをもらったんですけど、それがすごく嬉しくて。
 
谷尾:まだ目立ちたい気持ちが続いてるの?
 
菊原:このときがピーク。
 
谷尾:「ハルカナタ」がピークなんや(笑)。
 
菊原:一番自信に満ち溢れていたときですね。結構イケイケの頃ですね。
 
岡本:私は「キラーチューン」かな。初めて一人でA、Bメロを歌って、その歌割りをもらったときに嬉しかったけど、どうしようかなと思って。このときに初めてプレッシャーを感じましたね。
 
――最後にツアーは10月まで続くわけですけど、意気込みを聞かせてもらえますか?
 
岡本:みんなでミーティングして、最後のツアーだから、とにかく楽しもうね!って。難しいことを考えずに、楽しい空間を作ろうと。お客さんに悲しむ暇が与えないくらい楽しいをぶつけたくて。ひめキュンのライヴ、マジ楽しかったよね!と言わせたいですね。
 

 

■プロフィール

ひめキュンフルーツ缶
2010年8月に誕生した愛媛発のご当地アイドルユニット。
2011年3月に「恋愛エネルギー保存の法則」でCDデビュー。 2013年8月に満を持して『アンダンテ』にてメジャーデビュー。2015年2月には、ゆるきゃら「バリィさん」とコラボユニット「バリキュン!!」 としても活動し話題になった。同年8月27日28日には、5周年記念イベント「ひめキュン祭」をTSUTAYA O-EAST公演をおこなった。 また同年6月には「NHKみんなのうた」を片岡鶴太郎×ひめキュンフルーツ缶名義でシングル「たこちう」を発売。
昨年2016年1月10日に地元愛媛のひめぎんホール・サブホールにてワンマンライブ「HimeKyun“Run before the wind”第一章」を 開催。2月17日には第2章の幕開けとなるニューアルバム「天国ギミック」を発売。春先にはLUNKHEAD主催「みかん祭り」・SANUKI ROCK COLOSSEUM・COMIN’KOBE・ヤングライオン・YSTUI FES・SAKAE SPRING・ネコフェス等ロックサーキットイベントに総出演!6月1日にはひめぎんホールでのライブDVDを発売。9月7日に怒髪天からの楽曲提供のシングル「伊予魂乙女節」をリリース。リリースをきっかけに11月12月には怒髪天(上原子友康・清水泰次・坂詰克彦)と新バンド「ひめキュン蝦夷乃無頼缶」を結成し全国ツアーを行う。